水神の子。或いは、水神の人。<br> これまで義勇は積極的に関わることはなかったけれど、義勇を見た幽世のものたちは彼をそう呼ぶことが多い。文字通り、水神が護っているからだ。<br> 特に神々は人間は皆同じに見えるらしく、幽世が見える義勇の珍しさもあって他と区別するように呼ぶ。超常の存在にとっての人間は、人間にとっての蟻のようなものだから。<br><br>『やあ、水神の子』<br><br> 狭霧山にも神がいる。山の神とも言えるそれは、狐の姿をしていた。雪山でもないのに真白い毛並み。赤い縁取りの施された瞳は琥珀色。<br> 最終選別前に修行していた頃も、その存在は知覚していた。兄姉弟子たちも教えてくれて、時々白い狐が視界の端に映ることもあったからだ。当時の義勇は姉を亡くし、神というものへの不信感や嫌悪感があったから自ら関わることはなかったけれど。<br><br>『風が噂を運んでいるよ。水神の子が自ら幽世に関わるようになったと。過保護な水神がよくぞ許したものよなあ』<br>「………」<br>『まあ、そのおかげであの子・・・も明るくなった。子狐たちも笑っておる。人とは本当に不思議だ。お前が代弁しただけで明るくなるとは』<br>「…お前たちには、わからないだろうな」<br><br> 白い狐は神である。人の気持ちなど真の意味では理解できない。喪ってしまった大切な人の言葉を聞いて、人が何も思わないわけがないのに、その心の機敏などわからず、そもそも心というものを知っているのかも怪しい。<br> 〝あの子〟とは、鱗滝のことだ。狭霧山の山神は鱗滝がお気に入りだった。彼が老齢であることも構わず、ずっと〝あの子〟と呼んでいる。そして鱗滝の弟子である狐面の子供たちも同様に気に入っていて、纏めて〝子狐〟と呼んでいた。<br> 何故、その子狐たちを義勇につく水神のように護ってくれなかったと言えば、契りもなければ助ける理由・・・・・もないからである。お気に入りの玩具が壊れたとて、残念には思えどその程度。―――人間はいつか死ぬのだから、神にとってそれが僅かばかり早いか遅いか、ただそれだけのことなのだ。<br><br> これまで義勇は神と関わることを避けていた。人ではないものに人の道理は通じないと理解していても、義勇以外を護らない水神への負の感情がなくなるわけではない。故に、傍にいる水神はともかくそれ以外の神には出来る限り関わらないようにしてきた。<br> そんな義勇が何故山神と対話しているかというと、狭霧山を降りようとした彼の行手を塞ぐように白い狐が現れたからである。<br><br>『ふふ。さて……水神の子、あの子が連れてきた赫灼の子と〝穢れ者〟の娘。あれはお前の差し金だな?』<br>「!」<br><br> 琥珀の瞳がすっと細められる。白い狐が義勇の前に現れたのは、その話をするためだったのだと漸く気付いた。<br> 義勇が見つけ、狭霧山へ導いた者。炭治郎と禰豆子。炭治郎の赤みがかった髪と瞳を思い出す。赫灼の子の呼び方は水神からも聞いたことがあった。<br> そして〝穢れ者〟――禰豆子を指す言葉。酷い言葉だ。義勇を護る白い龍も、彼女をそう呼んでいる。禰豆子だけではなく、神々は鬼のことを〝鬼〟ではなく穢れ者と呼ぶ。〝穢れた血が混ざった者・・・・・・・・・・〟と。<br><br>『まさかあの子が穢れ者を連れて来るとは思わなかった。呪ってやろうかと思ったが……あの娘、お前が〝斬った〟であろう?<br> それにあの血筋、目を掛けている神もいたようでなあ。穢れも薄まっていた故、あの子に免じて呪うのは止めておいた。…お前の目論見通りかな?』<br>「……感謝する」<br><br> 義勇は確かに、鬼になったばかりの禰豆子を己の刀で刺した。<br> 彼の刃は水神の加護で穢れを斬ることができる。義勇が鬼を斬ると、その傷から煙のように穢れが噴き出す。その過程で、彼らは鬼になると同時に忘れた人としての心を思い出すことが多い。上弦の参の時のように、傍にいる幽世のものに協力を仰ぐこともあった。<br> 義勇はいつも、鬼に成ったばかりの者の首を落とす前に、どこかを斬り付けて穢れを浄化しようとしてきた。……それが成功した者は存在しない。<br><br> そもそも、義勇が炭治郎をその場で保護せず、狭霧山を――正確には鱗滝を紹介したのは、山神が鱗滝を気に入っているから・・・・・・・・・・・・だった。ただ山に入るだけなら簡単だ。しかしそれでは、炭治郎と禰豆子が山神の怒りと呪いを受けてしまう。だが鱗滝が連れてきた・・・・・・・・子供たちであれば、山神も受け入れてくれるのではないか、そう考えて義勇は師に託した。<br> 逆に言えば、そう言った点を利用しなければ――否、利用したとして受け入れてもらえたことが奇跡と呼べるほど、鬼穢れ者は神々に忌み嫌われている。<br> 禰豆子の血筋が神に見守られていること、水神の加護を受ける義勇が彼女を斬ったこと、鱗滝が狭霧山へ招き入れたこと、そして何より、彼女がその強靭な精神力で人を喰わずにいること。多くの要素が重なって、禰豆子は辛うじて神に許されているのだろう。<br><br>『しかし、赫灼の子と穢れ者の娘。あれらも不思議な天命を背負っているなあ。巡り合わせというものか。お前と同じだ。―――嗚呼、なるほど。過保護な水神が許すのも無理はないか』<br>「…?」<br>『〝外れ者〟が生まれて早千年。あれのせいで輪廻も少々狂っている。今度こそ・・・・正さねばなるまい』<br><br> 白い狐は何やら自分だけで納得している。細かい説明を放棄したそれは独り言に近く、義勇は意味がわからず首を傾げていた。<br> やがて琥珀の瞳が義勇を見る。自然のものだけではない霧が狐を覆うように現れて、その輪郭がぼやけていく。<br><br>『お前にしか出来ないことをするといい。それがきっとお前の天命だ、水神の子』<br><br> 去り際、白い狐は予言のようにそう告げ、霧に溶けるように消えた。突然やって来て言いたいことだけ言って去る、なるほど神らしく勝手だ。結局、山神は何が言いたかったのだろう。禰豆子のことを責められるかと思えば、考えていたよりあっさり話も終わってしまった。拍子抜けとはこの事である。しかし神の言葉の意味を考えたところで、人間である義勇にはわからない。<br> その姿の通り狐につままれたような心地で、義勇は再び狭霧山を降りるため歩き出した。<br><br> 山神の言葉の意味を知るのは、近い未来の、永い夜が明ける時となることを、彼はまだ知らない。
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